『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレーズ(テレジア)の霊性(12) 最終回

2015年9月15日

2014年9月28日(日)東京教区 関町教会において
ノートルダム・ド・ヴィ会員の 片山はるひ が
リジューの聖テレーズについての講話を行いました。
その講話を数回に分けてご紹介して行きます。

今回はその12回目 最終回 です。

『闇』を貫く光 幼きイエスの聖テレジアの霊性
片山はるひ(ノートルダム・ド・ヴィ会員)

16.教皇フランシスコとテレジア

教皇最後に登場するのが、教皇フランシスコです。教皇フランシスコがいちばん愛している聖女は、間違いなくテレジアです。上智大学で同僚のイエズス会のアイダル神父さまはアルゼンチン出身の神父さまで、フランシスコのお弟子さん、というか息子さんのような神父さまです。このあいだローマに行って教皇さまに特別の謁見をし、彼ひとりだけ特別に教皇さまに朝食に招かれたのだそうです。教皇さまの居室に招かれたときに、入ってすぐ前に掛かっていたのがテレジアの写真だったそうです。

それがアルゼンチンで院長をしていたときに掛かっていたのと同じ写真だったということを聞きました。ですから教皇さまがいちばん愛している聖女は、間違いなく聖テレジアです。

その教皇フランシスコが最近書かれた文書(使徒的勧告)に『福音の喜び』があります。この書の中では、テレジアという名前は註の中にひとつあるのを見つけただけですが、その背後に、これはテレジアのことを書いていると思われるところがたくさん出てきます。教皇はイエズス会員ですから、宣教の保護聖人であるザビエルに、テレジアがいて、これで鬼に金棒というところでしょう。

その中の一節です。

 

ろうそく愛は唯一の光です。その光は闇の夜を照らします。そして、私たちが生き、働き続けるために必要な勇気を与えます。愛をもって人と出会うたびに、神について新しい何かを発見します。私たちは宣教者であり続けなければなりません。このような開かれた心が幸福の源なのです。(『福音の喜び』272項より。邦訳、カトリック中央協議会、229頁)

 

これが皆さんにお伝えしたテーマです。「闇を貫く光」というのは教皇さまのお言葉で、たまたま見つけたのですが、これをもってきょうのお話を締め括れるかと思います。

サンタ・テレジアの歌詞を見てみましょう。

 

ノートルダム・ド・ヴィ前庭♪寒い闇夜に はしる光

勝利の誓い 輝きわたる

 

この「勝利」は神さまの勝利です。

 

♪暗く冷たい この世の中に

ともしびわける 小さな手足

 

テレジアは本当に小さな人です。小さなともしびですが、マッチ1本でも大きな火をともすことができるのです。

これは『自叙伝』の最後の部分です。

 

イエスよ、私をあなたの愛の炎の中に引き寄せてください、私のうちに生き、行動なさるまでに私をあなたに一致させてください。(自叙伝 381頁)

 

これは「雅歌」という聖書の一節の「私を引き寄せよ、私たちは走ろう」(雅歌1・4参照)という言葉にインスピレーションを受けて、テレジアが書いたものです。私たちもテレジアに引き寄せられ、テレジアは神に引き寄せてくださる。つながっている方たち全部を神のほうに近づける――それがテレジアのメッセージのとてもダイナミックなところだと思います。

 

私のフレンドとなったテレジアを皆さまに紹介しましたが、皆さまもぜひ自叙伝などをお読みになって、テレジアを皆さんのフレンドにしていただければと思います。

 

〔2014年9月28日 関町教会聖堂にて〕

まとめ=関町教会広報部