ノートルダム・ド・ヴィの創立者 幼きイエスのマリー・エウジェンヌ神父の著書『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』 の中から、第8章 テレサ的精神( Espirt thérèsien) の日本語訳を2013年1月より10回に渡って連載しています。
『わたしは神をみたい(Je veux voir Dieu)』
p.116-126 第8章 テレサ的精神 (Espirt thérèsien )
主なる神は生きておられ、その御前に私は立つ。
私は情熱の全てをかけて、主に仕える。
(第8回からの続き)
4.だが、この目的がすべてだろうか? 聖テレサの霊的教えは、教会の奉仕のために、完全な祈りの人、偉大な観想者を養成するためにふさわしいものだが、それにとどまるだけのものだろうか?
確かに、3世紀にわたるフランスの女子カルメル会のすばらしい成功とその深い影響力は、カルメルは、高い塀と厳格な格子により、世間の騒音や人々との接触から隔てられた囲いの修道会の中にのみ存在するものという確信を作り上げてきた。そして、聖テレサの霊的教えは、このように潜心のための特別な生活様式を営む観想修道女にのみ向けられたもので、普通の生活における一般的な使徒職には、まったく適応しないものと思われてきた。
だが、これは、非常に残念な誤解であると言わねばならない。なぜなら、その教えは、完全な使徒を養成するために適した、もっとも単純かつ崇高な教えでもあることに気づいていない人があまりに多いからだ。
聖テレサは、傑出した活動家だった。その霊性は、彼女が創立に費やした15年間の使徒的活動の生活に適したものであったし、またこの活動生活の時期にこそ、その教えは、完全なものとなったといえよう。
彼女の父であり、息子であるともいえる跣足カルメル会士達は、皆活動の生活を送ったが、彼女は彼らに完全なカルメル的生活を教え、完徳の道へと導いたのである。イエズス会士、バルタザル・アルバレスとガスパル・デ・サラザル、ドミニコ会士バニエスとガルシア・デ・トレドは、みな彼女に著作の執筆を命じた霊的指導者達であったが、その司祭達にも彼女は、カルメリットと同様に、自らが生きていた霊的教えを与えたのである。
だが、この活動に関する彼女の教えは、著作のどこに述べてあり、祈りについての教えとどのように区別されるのだろうか?
つづく
日本語訳:片山はるひ
(ノートルダム・ド・ヴィ)