子供が成長して 親の手を離れたとき 母は姿を消します。
それは当たり前です。
母が 再び姿を現すのは 成人した子供が
自分の過失からか あるいは思いがけない出来事から
自分のもろさに直面したときです。
そのとき 母は苦しみの中にいるこの子に
母としての心を取り戻します。
聖母は霊的な母です。
しかし 聖母の特権 強さ 優しさ 思いやりは
地上の母となんら変わることはありません。 *
~ 尊者マリー・エウジェンヌ神父 ocd ~
7月16日はカルメル山の聖母の祝日、20日は預言者エリヤの祝日、26日はマリアさまの母聖アンナの祝日を祝います。
かつてバールの神により頼むようになったイスラエルの民への罰として、真の神は生命の源ともいえる雨を絶ちました。
エリヤのとりなしで人々が真の神に立ち返ったとき、エリヤはカルメル山の山頂で「人の手ほどの小さな雲」が海から立ち上がるのを見届けました。
この雨雲にエリヤは子をはらんだ処女を眺めたと初代修道者に関する資料にあります。
エリヤの信仰のまなざしはそこに命そのものであるキリスト、恵みの雨の前兆を読み取ったのです。
後日「人々に命を与える」贖い主は「命の水」に渇いている人々の心を潤すことになります。混迷の21世紀に生きるわたしたちも、心も体も真の命の水に飢え渇き日々の生活の中で常に真の命キリストを求め続けますように・・・・・・
伊従 信子
ノートルダム・ド・ヴィ
*『聖霊を友に』より