もうすぐ列聖される福者ルイ・マルタンとゼリー・マルタン夫妻のご紹介

2015年10月11日

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福者ルイ・マルタンとゼリーマルタン夫妻のメッセージ

こちらは、2008年12月に掲載したものです。来週18日にバチカンで列聖される聖テレーズの両親 ルイ・マルタンとゼリー・マルタンを記念して、再度掲載させていただきます。

2008年10月19日(世界宣教の日)、幼きイエスの聖テレジアの両親であるルイとゼリー・マルタン夫妻が列福されました。夫婦そろって福者となったルイとゼリー・マルタン。二人の生涯を、妻のゼリーが残した手紙をたどりながらご紹介します。

神さまは私に、この世よりも天国にふさわしい父と母をお与えくださいました。父母は、「私たちにたくさんの子供をください。そして、それをご自分のためにお取りください」と主にお祈りしていました。この願いはみごとにかなえられました。1987年7月26日
(「幼いイエズスの聖テレーズの手紙」p.528 サンパウロ)

◇二人の出会い

子供が熱烈に好きです。子供を産むために私は生まれました。」ゼリーは手紙にこう綴り、また実際に二人は9人もの子どもをもうけましたが、以前は二人とも結婚はせず、それぞれ修道者として生きようと考えていました。ルイは時計商を営む叔父のもとで、時計の細かな機械の技術を覚えました。修道生活に憧れ、聖アウグスチノ会修道院に入会を希望していたものの、それは神のみ旨でないことを悟り修道生活を断念しました。ゼリーもまた、修道生活に憧れつつも、幼少期から病弱だったことから修道者の道を断念しました。ルイはフランスのアランソンという町で時計商を営みながら、神が自分にどんな道を望んでおられるか模索する日々を過ごし、ゼリーはアランソン・レース編みの技術を身につけるため、レース学校に入学し、22歳でアランソン・レース製造の会社を興しました。
ルイが35歳、ゼリーが26歳の時、アランソンの町のサン・レオナール橋で二人は出会いました。ゼリーは気品ある青年ルイとすれ違った時、心の中で声を聞きました・・・「彼はあなたのために準備した男性です」この出会いの3ヶ月後、1858年7月13日、二人は教会で結婚式を挙げました。 

◇結婚生活

実は結婚当初、マルタン夫妻に性生活はありませんでした。二人はまるで兄と妹のように過ごしていたからです。しかし神父様から、結婚した夫婦なのだから子供をもうけたほうが良いと言われ、ゼリーが「子供が熱烈に好きです。子供を産むために私は生まれました。たくさんの子どもが欲しい、そして子どもたちを天に向かって育てたい。」と手紙に記した通り、二人はたくさんの子どもをもうけることになります。

◇マルタン家の日常生活

マルタン夫妻の毎日は多忙でした。ゼリーの経営するレース会社は100人もの従業員を雇っていました。二人はそれぞれの会社を持ち、仕事を愛し、それぞれ熱心に仕事に打ち込んでいました。二人の仕事に対する考えは、決して自分たちの家庭の生活費を稼ぐためだけではなく、神が世界の創造を続けるためのものだと信じていました。ゼリーは企業主として、会社の色々な役目や心配事があり、また、母親として家族の様々な心配事も抱えていました。

当時の手紙にゼリーは、「同時に色々な事をしなければなりません。マリーはベニエ(フランスの菓子)が食べたい、他の子どもは栗が食べたいと言って・・・。私は、少しの安らぎと休みが欲しい。」「騒がしい場所から逃げ、どこか静かなところに行きたい。もううんざり。起きている時間のうち一分間も自分の時間がない!」と何度も書いていました。しかし常に、「娘たちが聖人になるにはどうすればいいのか?」を考え、そしてその次には「今日、娘たちに何を着せようか?」を考えるのでした。

一方、ルイは娘たち一人ひとりの性格に注意を払い、それぞれの特性を見ながら、いつも娘たちのそばに寄り添い、娘たちを成長させました。まさに、現代の愛の教育者でした。その結果、聖テレジアは父親の姿を通して神様の愛を知って行きました。ルイは父親として、娘たちに神様の愛を表したのでした。そのおかげでテレジアは、自然に神様のことを「パパ」と呼び、愛に溢れる父のおかげで、神様のことを良く理解していきました。ルイは子どもたちの教育に多くの努力を注ぎ、ルイとゼリーはいつもお互いに助け合っていました。子供の教育についても、いつも一緒に考えました。子どもの中には、気難しく、育てるのに困難な子どもがいましたが、二人は一緒に問題を解決していきました。父親であるルイは、自分のことよりもまず、妻と娘たちのことを考えていました。マルタン夫妻の子どもたちに対する愛は、まるで愛の泉で、そして、それはまさに神様の愛そのものでした。

◇夫妻に特徴はありますか?

マルタン家は一九世紀のフランスのごくありふれた家庭でした。そして何よりも神様の御心を大切にする家庭でもありました。毎日5時のミサに行き、朝と夜は家族で祈り、どんな時も神様を一番に考える家庭でした。この家庭の日常生活は大変陽気で、家族一緒に遊んだり、お祝いしたり、出掛けたりする家庭でしたし、父親のルイは、娘たちのために面白い話や、歌を歌ってやったりしました。マルタン家の日常生活は、単純で小さなことにも喜びを見出すことのできる、素朴でシンプルな生活でした。聖テレジアの「小道」はそんな両親の影響を受けたと思われます。

また、マルタン家はいつもオープンな家でした。しょっちゅう貧しい人が食事をしに来たり、洋服をもらいに来たりしていました。夫婦は訪れる貧しい人々に、娘たちの手からお金を渡させました。しかも、とても気前よく・・・。マルタン家の信仰は、抽象的な信仰ではなく、このように具体的な信仰でした。福音書の言葉どおり、最も小さな者の中にキリストの顔を見ていました。(マタイ25・31~46)お年寄りの家を訪れることもしました。ルイとゼリーの愛は活動的な愛でした。そして、この信仰の姿を子どもたちに伝えていきました。表立って立派なことは何一つしていない夫婦でしたが、神様の光の元でささやかな生活を歩んでいました。こうしてテレジアの両親は、子どもたちの聖性の模範になって行ったのでした。

 「聖人方はどのように祈るか、パパを眺めさえすればわかりました。」
(幼いイエスの聖テレーズ自叙伝P.70ドンボスコ社 )※この「パパ」は父親ルイのこと

マルタン夫妻の生きた19世紀のフランスでは、普通、聖人になることのできる人は神父かシスターと考えられていました。ですから、結婚は聖性に大きな障害であると考えるのが一般的でした。しかし、マルタン夫妻は逆に結婚している夫婦でも聖人になれると理解しました。そればかりか、家庭は聖人になるのにとても良い場所であると知ったのです。家族は二人、三人、四人・・・。たくさんいればいるほど、さらに聖人になる可能性が高くなる!と・・・。

◇マルタン家は問題のない家庭でしたか?「いいえ!普通の家族と同じような生活を送りました。」

ゼリーの手紙を読めば、マルタン家はごく普通の家庭だったということはすぐに分かります。出産、我が子との死別、1870年の普仏戦争、そして晩年に夫婦は次々に病気の試練を受けました。二人の間には9人の子ども(男2人、女7人)が生まれましたが、そのうち4人が幼くして亡くなりました。母親であるゼリーは、子どもを失うごとに深く悲しみ、苦しみました。3番目の子どもが亡くなった直後に書かれた手紙には、「神様の手に全部を任せたほうが良い。そして、静かに神様のみ心に心をオープンにしながら、これから起こるさまざまな出来事を待ちます。これからはそうしてみます。」と書いています。

◇夫婦の試練

ゼリーは、1865年頃から胸にしこりができ、次第に健康状態が悪くなっていきました。5人の娘を育てながら病気と闘っていましたが、その後、乳がんは再発し、1877年8月、45歳の若さで天に召されました。神様はゼリーを癒しませんでした。彼女にとっても家族にとっても、それは重い試練でした。この時、聖テレジアはまだ4歳半でした。残された5人の娘たちの未来はどうなるのか、ゼリーはとても気にかけていました。ルイはその時54歳で、ルイとゼリー・マルタンの結婚生活は19年間でした。ゼリーが亡くなってからマルタン家はリジューに移り、ルイが一生懸命、5人の娘の世話をしました。そして、彼女たちのうち、3人(長女マリー、次女ポリーヌ、三女レオニー)が次々と、修道院に入りました。そして、末っ子のテレジアも、15歳でカルメル会に入会しました。マルタン夫妻は、娘たちを神様に捧げました。その時、テレジアのすぐ上の姉、五女のセリーヌはまだ家にいました。

その後の晩年のルイにとっては屈辱的な試練もありました。テレジアがカルメル会に入会した翌年、健康状態が悪くなり精神障害の症状が出て精神病院に入院しました。3年余りの入院生活の後、家に戻りました。セリーヌは、子どもに還った父親の世話をしました。テレジアはよく姉のセリーヌに手紙を書きました。「この試練のひとつの実りは、十字架の神秘を深めたこと」だと・・。苦しむ父の顔にキリストの顔を見たのです。キリストは父と同じように苦しまれたからです。しかし、この苦しみは自分ひとりの苦しみではなく、キリストと共にある苦しみなので、自分では理解できなくても、キリストを眺めれば耐えることができる、そしてルイ・マルタンはそのように生きぬいたと・・・。ルイは1894年7月に帰天しました。70歳でした。

ゼリーは、精力的に会社を経営しているときも、夫から愛される妻で居るときも、多くの子どもを持つたくましいお母さんであったときも、病人になったときも、変わらず神様を信頼していました。ルイも試練を超えて、神様の御心を探しました。最後まで日常生活の中で・・・。

◇子どもたちの聖性の教育者

ルイとゼリーは、お互いにとっても5人の娘たちにとっても、聖性の教育者になりました。聖性は個人的なものですが、なぜマルタン夫妻は夫婦で列福されたのでしょうか?
真理の中で愛し、その上「主に結ばれている」(1コリント7・39)人と結婚するのは、相手の善を望むことです。この善は永遠の善で、すなわち聖性です。結婚は女性と男性の間の取り決めと異なり、神の名によって、妻、夫、子供を愛することで、強く愛するがゆえに、聖人となります。ルイとゼリーは、一人ひとりが聖人でした。そして、結婚の恵みによって二人は福者となりました。

結婚の秘跡に固有な恵みは、配偶者の愛を完成し、解消できない結合を強めるものです。二人はこの恵みによって、「結婚生活および子女の出産と養育を通して聖となるよう互いに助け合います。」(結婚の秘跡の恵み1641「カトリック教会のカテキズム」P.495)
おわり。

文: アルメル・ヒルシャワー(ノートルダム・ド・ヴィ会員)
谷川京子(カトリック関町教会信徒)

初出:関町教会報『こみち』2009年242号、243号

 

*参考*

◇  ルイとゼリー・マルタン夫妻の取り次ぎによって恵みを願い、夫妻の列聖を求める祈り
(リジュー・バイユー教区司教認可公式祈願文)

 

永遠の愛である神よ、あなたは、福者ルイとゼリー・マルタン夫妻を通して、

結婚の中で生きた聖性の模範をあたえてくださいました。

夫妻は、生活の困難と義務のただ中で、希望と信仰を保ちました。

夫妻は、聖人となるように、子ども達を育てました。

夫妻の祈りと模範がキリスト者の家族を支え、私たちも皆、

聖性をめざして歩むことができるようにしてください。

 み旨ならば、夫妻の取り次ぎによって、私たちが願う恵みを与えてください。

そして、夫妻を聖人の列に加えてください。

主イエスキリストによって。アーメン。